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ミスチルファンはもう来るなよ

武闘派のミスチルファン

 
コメント欄で心無いミスチルファンから攻撃を受けている。
 


 
これはひどい。最悪な論評。
もし「HERO」が"直截な言葉"で書かれた"紋切り型"の"説明的な作文"なら「君を一生 命尽きるまで 愛しつづけたい」等の一文で済むはず。
むしろその一文で済むところを説明的に書かなかった結果この歌詞が出来上がっている。
特にサビは見事。普通はこんな比喩表現は思いつかない。
ともすれば紋切り型になりがちな表現を婉曲的かつ複雑に描写することで多くの人の心に響く歌詞になっている。
このブログの筆者はミスチルを嫌うだけでは納得出来ず、単純明快な答えを求めてしまう。
大衆になぜその曲が広く受け入れられたかの緻密な分析がこの文章からは見えない。
人や風景や物語を実感豊かに受け止められるだけの力が筆者に決定的に欠けているものと思われます。

夏男
 
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/10298816.html
秋元康ミスチルを一緒に叩いたのは、このまとめ記事を見たから。
ミスチルの歌詞は下手だが、切実な本音を綴っている誠実さが感じられ、
その点では良い歌詞だと思う。だから批判すべきかどうかの葛藤があった。
それでも結局、自分の正義を貫くために批判することを選んだ。
涙をぬぐいながら書いた。
 
僕のしたミスチル批判が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人のリテラシーを上げてゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど ギリギリガールズ


 
この筆者は根本的に間違ってますね。それはミスチルの歌詞は下手じゃないということ。
筆者の言っている駄目な歌詞のポイントは3つ
①説明的な作文で受け手が解釈を試みる余地がない②直截な言葉で書かれている③レトリックが稚拙
では筆者が「良い歌詞」の例として上げる飛鳥さんと曽我部さんの歌詞を見てみましょう。
「命尽きるまで 愛しつづけたい 命尽きるまで すべての嘘を守りたい」(aska「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」)
「夢から覚めたのは初夏の日差しの中 きみがいたあの夏 夢に見てたみたい やさしい光の中きみは微笑んでた ふたりを傷つけた恋の季節超えて」(曽我部恵一「夢を見ていた午後」)
飛鳥さんも曽我部さんも下手な作詞家なんですね。まさに「駄目な歌詞」の典型例。
筆者の基準に照合すると、まず飛鳥さんも曽我部さんも言葉のセンスがないので正しい日本語を使い、説明的な作文をしています。
次に書かれた言葉はありきたり。直截な言葉ばかりです。最後にレトリックが稚拙。まさに紋切り型の美辞麗句、といったところでしょうか。
ここで話を整理をしましよう。
リテラシーのない筆者が取るに足らない正義のために涙を拭いながら書いたなんてどうでもいいんです。
ミスチルが切実な本音を書いたのか、それとも嘘をでっちあげて書いたのかなんてこれもどうでもいい(だって書かれた時の状況なんて確認しようがないし)。
ただはっきり言えることがあります。それはミスチルが「歌詞を書くのが上手く」、「良い歌詞」を書いているという事実。
筆者の基準に照らし合わせるとミスチルの曲は「駄目な歌詞」ではありません。当然下手でもない。
それどころか優秀。かなり技術がある方でしょう。なぜなら説明をせず解釈の余地があり、婉曲的な表現を使い、レトリックが高等だからです。
「愛している」という表現をするのに、
「命尽きるまで 愛しつづけたい 命尽きるまで すべての嘘を守りたい」という飛鳥さんの言い回しより(説明的で解釈の余地なし、直截的な言葉、レトリックが稚拙)、
「人生をフルコースで深く味わうための 幾つものスパイスが誰もに用意されていて  時には苦かったり渋く思うこともあるだろう そして最後のデザートを笑って食べる 君の側に僕は居たい」(婉曲的で想像の余地がある、他のミュージシャンには書けない非定型的で高等なレトリック)というミスチルの言い回しの方がどう考えても上手いし、高度で、凝っている。
筆者は情に訴える歌詞より言い回しを作ることが難しいと書いています。だからこそミスチルは劣った存在で、飛鳥さんや曽我部さんは優れていると。
ところがどうでしょう。言い回しのレベルは飛鳥さんや曽我部さんと比べるとミスチルの方が上のようです。
筆者の基準を適用するとミスター・チルドレンはチャゲアスサニーデイより遥かに優れた存在のようですね。知りませんでした。
どうりでミスチルチャゲアスサニーデイより広く共感されるわけだ。ミスチルってやっぱり凄いんですね。
そりゃそうか。だってこれだけ良い歌詞が書けるんだから。ミスチルの歌詞って「上手い」ですもんね。
残念ながら私はどれも分け隔てなく好きなんですがね。
まとめましょう。
あなたの場合はそもそも「良い歌詞/悪い歌詞」という対立軸でエントリを書こうとしたのが間違いのもとです。
あなたは単純にミスチルが嫌いなだけでしょう?
そしてその理由、理屈が自分の中で整理されてないから論拠のない、意味不明の、中身のない怪文書になったんじゃないですか。
あなたの基準では飛鳥さんも曽我部さんの曲も「駄目な歌詞」「下手な作詞家」の代表例の一つですよ。しかもミスチル以下の。
あなたがミスチルを嫌いなのはそれはあなたの勝手。あなたがミスチルの歌詞が嫌いなのもそれはあなたの勝手。
なぜならそれは「好き/嫌い」の問題だから。
ただし、それが「良い/悪い(駄目)」の話になれば別。客観的に見てミスチルは技術があり「良い歌詞」を書くし、「歌詞を書くのが上手い」のです。
もしかしてこんなふうにマジレスするのは野暮でしたでしょうか?
他人の歌詞捏造してギリギリガールズとかほざいてますもんね(あなたは絶望的に言葉のセンスがないですね)。
あなたの記事は批判というレベルにも達していないと思いますよ。こんなもん中傷と呼ぶのが相応しいかと。
私も趣味で音楽制作をする身なので、音楽シーンの第一線で活躍される方の凄さは私なりに心得ているつもりです。
今回取り上げたミュージシャンの方の曲や歌詞はどれも素晴らしいと思います。
あなたも中傷記事を撒き散らしている暇があったらミスター・チルドレン、チャゲ&アスカ、サニーデイ・サービスといった一流のミュージシャンを見習って少しは真剣にご自身の音楽に精進されてみては如何でしょうか。

 
長々と書いているが内容が無い。
猫は「ASKA曽我部恵一の歌詞は下手」「ミスチルのほうが上」等の結論しか言っていない。
ミスチルの歌詞のどこがどう優れているのか、ASKA曽我部恵一の歌詞のどこがどう駄目なのか、
具体的な根拠が述べられていない。
 

Mr.children『HERO』とASKA『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』

 
人生をフルコースで深く味わうための幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる君の側に僕は居たい

 
猫がサビの歌詞を絶賛しているが、私は下手だと思う。
・幾つものスパイス=人生における様々な経験
・最後のデザートを~僕は居たい=我が子の幸せの瞬間をそばで見届けたい
比喩が何を例えているのかが一目瞭然で、解釈に幅が無い。
ここまで意図が明らかだと、もはや比喩を用いて語る意味が無い。
 
また、無駄な言葉が多すぎて表現が薄められている。
まず人生を料理に例えている文中に人生という単語がそのまま出てくるのが拙いし、
フルコースは「深く味わう」を、デザートは「笑って」を語ることができるから、
これらの言葉も不要。さらに人生というフルコース料理が「誰もに用意され」て
いるなんて言わずもがなのことだから、これもわざわざ説明する必要が無い。
人生をコース料理に例える発想がそもそも平凡なのに、それをメロディに
うまく当てはめようとして、説明言葉で字数を埋めている様が非常に見苦しい。
 

 
命尽きるまで 愛しつづけたい 命尽きるまで すべての嘘を守りたい

 
『晴天~』は、ASKAの中でも特に言葉が捻り倒されている歌詞だが、
その中で唯一と言えるぐらい平易な表現で書かれているのが上記のフレーズ。
そういう性質のフレーズを持ち出してくる時点で猫は負けている。
私がミスチルファンの間で評価が高い『HERO』を選んで論じているのとは対照的だ。
 
私は上記のフレーズが稚拙だとは思わない。
「命尽きるまで」「愛しつづけたい」という英雄的、道徳的な言葉に対して、
「すべての嘘を守りたい」という反道徳的な言葉が不意打ちのカウンターになって、
文章にテンションが生まれている。
また、この曲の歌詞は全体的に意味不明な表現が多いため、バランスをとるために
あえて平易な表現を挟んでいるのではないだろうか。
 
ついでに言っておくが、私は歌詞を必ずしも総合的に評価しているわけではない。
たとえば『晴天~』の歌詞は、言葉を捻りすぎで、あまり上手くないと思っている。
それでも冒頭の「ダイヤモンドさえも年を重ねてる まして星なんて燃えて消えていく」
というフレーズはかっこいいと思う。私はフレーズ単位でも評価する。
たとえミスチル秋元康でも、上手いフレーズがあれば素直に褒めるつもりだ。
 
 

他者が主観的に語ることを許さない人たち

 

 
意見が主観的に述べられていることを批判する人が後を絶たない。
それに加えて今回は「好き嫌いと良し悪しを混同するな」という意見も目にした。
主観に基づいて良し悪しを判断して論じてはいけないらしい。
だが、こんなふうに言っている人たちも、実際には日常の様々な物事について、
主観的に良し悪しを論じているはずなのだが……。
 
自分が納得できる言葉を相手が出すまで、延々と絡み続けるタイプの人がいる。
そういう人の常套句が「ただの主観ですね」「全然客観性が無いですね」だ。
自分の不完全さは棚に上げ、相手にだけ完全無欠の客観的な論理を求めようとする。
彼らは対話の相手を、店員やロボットだと思っているのだろうか。