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点で描く歌詞

 
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村上春樹の短編『UFOが釧路に降りる』について、ある文学者の解説を聞いたことがある。
曰く、一見すると意味不明な内容だが、印象的な話が点のように一つ一つ置かれていて、
その点の集まりが、ある形として見えてくるのではないか、というもの。
 
これは文芸において、わりとポピュラーな表現方法だと思う。
比喩を用いたり、点描画のように書いたりして、ヴェール越しにぼんやり見せることで、
読者に考えさせることができる。そこに大きな意味がある。
スポーツで汗をかいたあとに飲む水が、いつもより甘くて美味しいように、
批評的に読み込むことで、読者は作品をより豊かに味わうことができる。
こうした表現方法の存在を、私たちは知っておく必要がある。
 


 
Aメロ1 フタを開けたなら~ 
Aメロ2 好きな女から~
サビ1 折れた船が~
サビ2 薄められて~

 
チャゲ&飛鳥『BROTHER』も、暗示的、点描的に書かれたものだろう。
レトリック満載なうえ、各段落の文意のつながりが薄いように見えるが、
歌詞全体を見回すと、ASKA流の男のやるせなさの美学が浮かび上がってくる。
 
断っておくが、私は直接的な言葉で書かれた歌詞を否定しているわけでは無い。
ザ・コレクターズホフディランのように、直接的な言葉で書かれた良い歌詞は多い。
 
ミスチル秋元康が駄目なのは、詩的でかっこいい表現を目論んでレトリックを
積極的に用いていながら、そのレトリックが稚拙だからだ。
彼らの比喩は、どれも陳腐かつ説明的で、比喩が何を指しているのかが一目で分かる。
情報然とした歌詞は、反射的な感動を誘うための記号でしかないし、
比喩を多用していながら情報然とした感触しかない歌詞は、下手と言わざるを得ない。
 
 

モラルを錦の御旗にする人たちへ

 
「何かを褒めるときに、別の何かを貶す必要は無い」
今件においても、この手の意見をいくつか目にしてうんざりしている。
 
まず、批評の本分は作品の本質を鋭く見抜いて論じることであり、
褒めれば良い批評、貶せば悪い批評になるわけではない。
ASKA曽我部恵一の歌詞の素晴らしさも、ミスチル秋元康の歌詞の稚拙さも、
どちらも私にとって重要な論点であり、どうしても語る必要があるのだ。
 
そして、比較は作品を語る上で非常に効果的な手段だ。
比較することによって、双方の特徴をより可視化させることができる。
もし実例を挙げずに悪例を説明するとなると、抽象的な言葉を使い、さらにたくさん
字数を費やして説明しなければならないだろう。その分、文章が薄まってしまう。
比較、誇張、罵倒、独断と偏見etc...
これらは文章に圧力を出すための道具だから、私は積極的に使っていく。
 
私は自分の頭の中身を見せて、本気でエントリを書いている。
それに対して安易なモラルでマウントしようとする連中など、軽薄すぎて話にならない。