『ずすめの戸締まり』の気になるところ


 

現実の不幸を扱った創作

多数の犠牲者を伴う大災害から、一人が大怪我をする事故まで、規模の大小を問わず、
現実に起きた不幸な出来事をエンタメ作品に利用するのは無神経なことだ。
それでも現実の不幸を題材にするなら、その無神経をクリエイティビティで相殺するのが筋だろう。
高度なクリエイティビティを実現することは世界への貢献であり、何事にも勝る大義といえる。
 
高度なクリエイティビティの例を挙げよう。
下記の二作品のような創作ができるなら、東北大震災を作品に利用してもいいと思う。
 

『RRR』


 
ラーマとビームが出会い、炎に囲まれた少年を橋の上から救出するシーン。
ラーマは独立運動の象徴である三色旗を持ち、ビームは中州の子どもを掴み上げる。
その後、川の水に浸された三色旗にくるまって、ビームは炎から身を守る。
このシーンは要するに、独立運動と子供の救出、そして炎と水という、
主役二人のコンテクストを象徴的に描いた、知的なアクションシーンなのだ。
 

『呪呪呪』


 
屍人が独立メディアのインタビューを利用して、悪徳製薬会社の理事に対して殺害予告をする。
予告された当日、製薬会社のビルに別の屍人がやってくるのだが……。
その先の説明は控えるが、先入観を利用したミスリードのトリックが素晴らしい。
 

『すずめの戸締まり』に感じた物足りなさ

私が見る限り、『すずめの戸締り』にはクリエイティブなスペクタクルやトリックが無かった。
愛媛や神戸をはじめ日本各地で繰り広げられる、後ろ戸を閉めるための奮闘が良い例だ。
後ろ戸は頑張って押さえるだけで閉めることができるため、作戦を考えながら戦う面白味が無い。
後ろ戸が現れる場所にしても、例えばミミズが校舎中を隈なく這いずり回ったせいで後ろ戸を
見つけるのに手こずったりとか、観覧車やジェットコースター等の乗り物を作動させないと
後ろ戸まで近づけない等の工夫が無く、見つかりやすくたどり着くのが容易な場所に現れている。
 
また、ミミズを登場させたのは、村上春樹の短編『かえるくん、東京を救う』から着想を得たようだが、
ミミズを禍々しい姿の敵として描写するのは固定観念的で物足りない。
むしろミミズを水墨画西陣織のような美しいデザインにしたり、あるいは善玉のミミズと手を組んで
災害をもたらす悪いカエルと戦うような話にしてこそ、原作に対するアンサーたりえるのではないか。
 
東京の上空に表れる怪現象(あの渦巻きはミミズというより赤虫だ)も、
チョコレートのパッケージや化粧品のポスターのようで既視感があり、見応えが無い。
愛媛の田舎や神戸の街中もしかり。農業や旅館という、目新しさを一切感じさせない田舎描写。
神戸のスナックのエピソードも、『めぞん一刻』に出てくるスナックとキャバレーを
組み合わせただけに見える。
 
指摘はこの辺にしておくが、とにかく『すずめの戸締まり』は、前二作と比べても明らかに軽薄だ。
独創的なスペクタクルやトリックが見当たらないし、東北や日本の状況に対する批評的な視点も無い。
薄暮』の山本寛監督も言っていたが、新海監督は東北をろくに取材していないんじゃないか。
もし地道に東北を取材していたら、『すずめの戸締まり』とは全く異なるアニメが生まれていたはずだ。
 

新海監督の今後

『君の名は』と『天気の子』は、趣味が合わない作風ながらもなんだかんだで楽しめたのだが、
これら二作に関しては、三葉のお色気描写や、未成年たちがラブホテルで過ごすエピソードを通して、
オタクや男性のどうしようもなさを300館規模で披露する厚かましさがフックになっていたように思う。
不健全さを封印した新海監督には、どんな武器が残るのだろうか。
 
『君の名は』『天気の子』はテレビで見て、今回初めて新海アニメを映画館で見た。
あまり良い出来ではなかったが、だからこそ次回作に注目したい。また映画館に見に行きます。