MEN 同じ顔の男たち


 
初日に鑑賞。
意味不明な映画だが、りんごの木や教会の彫刻、妊婦、綿毛、そして両生具有を想像させる
連続出産モンスターなど、考察の手掛かりになりそうな要素がいくつも出てくる。
私は“テリトリー”という切り口を用いて本作を考えてみた。
 

ハーパーのテリトリー

物語の序盤で、ハーパーが雑木林を散策するシーン。
肌寒い季節に見えるが、木々には新緑のような瑞々しい色の葉が茂っている。
そして林の中を歩くハーパーは、サンドグリーンのコートを着て、
インナーやズボンもアースカラーでまとめ、林の景色に見事に溶け込んでいる。
この光景から、まるで雑木林がハーパーのための場所であるかのような印象を受ける。
遠方からの来訪者でありながら、ハーパーは雑木林にテリトリーを築いたのだ。
 
トンネルのシーンも、“テリトリー”を印象的に描いている。
ハーパーがトンネルの奥へ進むと、トンネル内の暗闇の面積が大きくなり、
逆にトンネル穴から見える林の面積は小さくなっていくわけだが、
それによって、まるでピンホール眼鏡のような作用で、林の存在感が増すことになる。
鑑賞者の視線もなんとなく林に誘導されるのではないか。
このシーンはつまり、ハーパーが自身のテリトリーである林から出てしまい、
他者のテリトリーに踏み入ってしまった不穏な状況を表している。
 

男たちのテリトリー

トンネルの向こうから男の人影が迫ってきて、逃げるハーパーは林を駆け上がり、
見晴らしのいい平原に出る。だが後ろを振り返ると、廃屋?の前に不気味な裸の男が立っている。
このシーンが示しているのは、ハーパーが雑木林をテリトリーにしているのに対し、
男たちは家やトンネルなどの人工物に付いている事実だ。
そしてこの事実は、ハーパーが借りているペンションが男たちのテリトリーであり、
安全な場所ではないことを示している。
裸の男はのちにペンションまでやって来るが、少し離れたところから屋内の様子を窺うような
挙動を見せていた。侵入者であるハーパーを用心深く観察しているかのようだ。
 
その後、ハーパーのペンションは男たちの襲撃を受けることになる。
男たちは自分のテリトリーを奪い返そうとしているのだ。
 

青のフォード

ハーパーが所有する青のフォードは、人工的な色をした鉄の塊でありながら、
村の風景に不思議と上手く調和している。教会のそばにいた地元の少年が、
村の風情にそぐわない下品なブロンドのお面を被っていたのとは対照的だ。
つまりフォードもハーパーのテリトリーなのだが、人工物であるせいか、
のちにペンション管理人に乗っ取られてしまう。
 
最後にハーパーを助けに来た友人は、ハーパーのフォードとはデザインが異なる
黒い車に乗っていた。友人の車を目立つ形で登場させたのは、
青のフォードに伴う演出意図を鑑賞者に気付かせるためではないだろうか。
 

タンポポ

西洋タンポポが単為生殖であることに着目し、連続出産モンスターと併せて、
西洋タンポポが男性性を象徴しているという考察をいくつか見た。
説得力を感じるが、一方で、タンポポもテリトリー論で説明できると思う。
 
私は庭で水生植物を育てており、陸生可能な水草を鉢やプランターに植えているが、
春の終わり頃になると、そこへたんぽぽの綿毛がいくつも飛んでくる。
用土のあちこちで芽を出し、取り除くのが面倒くさい。
 
どこにでも現れて、根を張って芽吹き、テリトリーを作ってしまう。
そんなタンポポの習性を、この映画は男性らしさと結びつけているのではないか。
タンポポはコンクリートアスファルトにできたひびの中にも生えている。
男性と重なる強健ぶりと厚かましさだ。
 

夫婦や男女のテリトリー

夫婦喧嘩の最中、夫のジェームズは理性を失いハーパーをグーで殴ってしまう。
男性が女性を殴るのはタブーであり、彼は妻のテリトリーを著しく侵害したのだ。
だからジェームズはテリトリーの象徴ともいえる“柵”がある場所に落ちて、
妻を殴ったほうの手を、柵の上部の棘に貫かれてしまうのだ。