イニシェリン島の精霊


 
文化的な人と非文化な人の相性の悪さを描いたブラックコメディ。
木が生えず、見晴らしが良すぎるイニシェリン島にはプライバシーが無く、
対岸に聞こえる本土の内戦の音が島の疎外感を際立たせている。
そんな島で、実直な人柄だが文化もデリカシーもないパードリックのもとから、
文化的向上心を持った親友と妹が離れていく。
 
パードリックが警官に殴られて倒れる場面があり、その後、コルムが警官を殴り倒す。
ボンクラで警官に逆らうことができないパードリックと、文化人ゆえか横暴な権力者に対して
容赦無く牙を剥くコルム。コルムは一方で、弱者のパードリックには暴力を行使せず、
むしろ自傷行為によって敵意を表明している。奇妙な三すくみの関係だ。
 
 
本作を見て『リプリー』を思い出す人が多いと思うが、
高学歴な文化人と無教養な労働者階級の対比を意地悪く描く小説として、
サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』がある。
教養を気取る人々が滑稽に描かれていて、ブラックユーモアが好きな人におすすめ。
 
コルムの後悔と焦りを見て思い出すのは、必殺仕事人の1話で、
元締めの鹿蔵が主水に対し、裏稼業へ復帰するよう口説くシーン。
「三途の川の水音が、すぐそばで聞こえるようになってくると、人はみな昔のことを
思い出すものだ。わしは何をやってきた、今までわしは何をやってきたのだとね。
そんな時、冥土へ持っていく土産が無いというのは、ひどく寂しいものなんだ。
中村さん、お前さんは気の毒なお人だ。何もかも失くしてしまったらしいが、わしにはある。
胸を張って冥土へ持っていく土産がね。これだ、この手は叶屋をやった手だからよう……」